モカシンテレグラフ

日記・雑記 料理とバイク旅の話が多め。NZ思い出話も時々

教科書の脱昭和感

最近、高校生の教科書にふれる機会があった。自分の現役からみれば30年ぶりくらい?そこでびっくりしたのが教科書がとてもわかりやすくなっていた。わかりやすいというか、丁寧な解説?わからない人がどこがわからないかがわかっている解説。

 

30年かけて、ようやく教科書を作る人は「わからない人がわかっていない部分」に気づいたのか、30年という月日で教科書というものもちゃんと進歩してるんだなと感心した。が、その直後、更に思い至ったのは「違う、昭和じゃなくなったんだ」と。

 

教科書を作ってる人は、自分よりも何百倍も頭のいい人が作っているわけで、その人が「わからない人がどこがわからないか」なんてことがわかっていないわけがない。でも、昔って(昭和の頃って)何でも手取り足取りでは教えない感じがあったんじゃないかと。例えるなら寿司職人に弟子入りしたら皿洗い3年、米炊き5年、みたいな風潮っていうのかな、ああいうやつ(良し悪しではなく。自分は好きじゃないけど)。勉強にもそういうのがあったのじゃないかと。「これくらいのことはひらめいてくれないとねぇ。じゃないとこれ以上のことを習う資格はないよ、うん」みたいな、ちょっと意地悪い感じとでも言おうか。

 

これが、時代は下り現在。寿司の例で言えば寿司学校ができて、コースに通えば効率よく数ヶ月で一端の寿司職人に(そんなのは寿司職人じゃないと言われるかもしれないけど、それこそが昭和脳)。色んな分野でなり手市場というか習う側市場へと変移してきて、学校教育・教科書にもそういった流れが及んできたんじゃないだろうか、という結論に達した(あくまで私見、感想)。もとから学校教育こそは寿司職人がどうこう以上に、それこそ国力の基礎の基礎となるもので、効率よく全員に学ばせ理解させることが重要なのだから、教科書作る人達も意識改革に至ってくれたというのは、それはそれで進歩か。

 

二次関数の最大最小値あたりの解説が必要だったので教科書を開いたのだけど、二次関数自体は無事解説して理解してもらえたので面目は保たれた。