モカシンテレグラフ

日記・雑記 料理とバイク旅の話が多め。NZ思い出話も時々

漫画テルマエ・ロマエが深く刺さる理由

いろいろ漫画がすきなんだけど、そのうちの一つに「テルマエ・ロマエ」がある。久しぶりにゆっくりとじっくりと読み返してみた。コミックそのものもとても良く売れたし、メディアミックスで大当たりで、多くの人が知っている作品だと思う。読んでなければぜひ読んで欲しい(作者自身が書いているが、最初は読み切りの計画だったので、最初の勢いと連載化後の勢いが若干違いがあるけれども、読んでおいて損はないと思う)。

 

で、なんで自分にここまでこの作品が深く刺さるのかと思えば、作者のヤマザキマリさんが外地生活が長く、外地で(日本のような)入浴ができないことへの不満を書かれていて、作品が面白いこともさることながら、その点への共感が自分への強力なフックになっていたんだなと、再認識した。不満というか、渇望と、そして創意工夫?

 

コミックを読んだことがある方はわかると思うが、話と話の間に作者による長い文章(解説?エッセイ?)が挟まれている。この部分がまた、醍醐味でもあるんだけど、ここで、外地での涙ぐましい努力・工夫・トライ?でなんとか入浴をしようというエピソードが出ていて、自分も外地生活を長くしていたので「わかる!やったやった!」となる。

 

自分のいた国ではシャワーがほとんどだけど、古いタイプの家だとバスタブとして使わないのだけどバスタブが設置されているところもあり(それでも洋風の浅くて長くて、というバスタブ)、そこに平たく寝そべってぎりぎり入浴をしたりしていた。給湯もバスタブ前提に作られていない少容量の貯湯タイプ(しかも沸くのにものすごい凄い時間がかかる)が基本なので浴槽にお湯をたっぷりとはることはできない。なので、完全に仰向けに寝そべってもお腹がぎりぎり寒いみたいなところに涙ぐましく入浴していた。少しでも湯温湯量を稼ぐためにヤカンに熱湯を作りバスタブに足したり。追い焚きなんてないから、お湯を張った時点でギリギリ適温、その後は冷めていく一方なので、冬は暖まるというより、むしろ冷えるために入浴してるのではないかと思うくらいだった。

 

なんで急に読み返したかといえば、ちょうどローマ時代の話をずーっと聞いて、読んでいたので、「そういえばテルマエ・ロマエも、ローマ時代だったな」ということで読み返したというのがきっかけ。コテンラジオのローマ時代シリーズもいろいろ出揃ってきているので、ローマ時代を軸に再聴中だったんだけど、その一環。それに引きずられて「ヒストリエ」を読み返し、そこからの「テルマエ・ロマエ」というわけ。でもテルマエはもうカエサルの結構あと、ハドリアヌス帝の時の話だった。コテンラジオを未聴のかたはぜひ聞いた方がいい。豊かになるし、会話も弾むはず(主に私と)。

 

ということでテルマエ・ロマエ、読んだことなければ読んでみるといいよ、という話でした。